宗教であり、信仰なのだ、と思った。
2日目、安楽寺の宿坊に参籠したときのこと、
夕方の勤行でそれを実感した。
「信心の施主」という言葉とか。
「ご祈祷・ご回向」のためにお参りしている。
わたしはお寺とお寺の間を歩くことで
なにか分かるんじゃないか、と思っていた。
「どうして生きているのか」
だけど得られるもの、皆が目指すところは
「どのように前向きに生きるか」
なのかもしれない。
きっとどこかで、それらは繋がるはず。
2日目、安楽寺の宿坊に参籠したときのこと、
夕方の勤行でそれを実感した。
「信心の施主」という言葉とか。
「ご祈祷・ご回向」のためにお参りしている。
わたしはお寺とお寺の間を歩くことで
なにか分かるんじゃないか、と思っていた。
「どうして生きているのか」
だけど得られるもの、皆が目指すところは
「どのように前向きに生きるか」
なのかもしれない。
きっとどこかで、それらは繋がるはず。
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